秋の風景「台風 

 

 日本は台風の通り道となることが多い国。昭和の時代には洞爺丸台風、伊勢湾台風、第二室戸台風などが甚大な被害をもたらしている。だが、子ども心に、台風と聞くと、なぜかワクワクしたものだ。風と雨が強くなると、窓から野外を覗いたり、テレビやラジオから聞こえてくる台風の経路を語るアナウンサーの声に、妙にドキドキしたりしたものだ。夜は強い風の音や揺れる雨戸の音などに、さらに停電してロウソクでの灯りで日常とは違う一夜を体験。興奮してなかなか寝付かれなかった人も多いはず。そして学校も休みになった。「台風」という言葉が誕生する以前は「野分」と呼ばれた。野分とは「二百十日」の頃に、草木をかき分けて吹く風のことで、二百十日は立春から数えての日数で、九月一日前後になる。「野分」は『源氏物語』の第二十八帖の巻名であり、夏目漱石の小説のタイトルにもなっている。また、昭和22年~27年まで6年間にわたって日本は米国の占領下にあったため、ハリケーンにならって台風に外国人の女性の名前(英語名)を付けることが強要されていた。6年間に発生したカスリーン(1947年)、アイオン(1948年)、キティ(1949年)、ジェーン(1950年)、ルース(1951年)などの台風名は女性名だった。気象観測が進歩した現在でも、台風による被害があとを絶たない。自然の猛威の前では人間など小さな存在ではないということだろうか。被害に遭った方にはお見舞いを申し上げるしかない。ただ、台風一過の空は、なぜか清々しい。被害さえなければ、過ぎ去った後に広がる青空にほっとすることができる。