秋の風景「秋刀魚(さんま) 

 

 昭和三十年代前半、たとえていえば、映画『ALWAYS 三丁目の夕日』の舞台となっている時代よりも少し前ということになるだろうが、秋の夕暮れの時分どきともなると、長屋の玄関先に七輪を持ち出し、炭火で秋刀魚を焼いている光景が見られた。秋のサンマは脂肪分が多く、美味、それでいて値段が安いことから、大衆魚として人気だったのである。秋刀魚の塩焼きといえば、日本の秋の味覚の代表で、カボスやスダチをしぼり、大根おろしを添えて、あとは醤油をかけるだけというシンプルなものだが、ビールを飲みながら、焼きたての秋刀魚をハフハフ食べているときは至福のひとときだったというお父さんも多いだろう。それにしても、「秋刀魚」とはうまく当てた漢字だと思うが、明治の文豪・夏目漱石は『吾輩は猫である』のなかで「さんま」に「三馬」という漢字を使っている。「秋刀魚」と表記したのは大正時代の詩人・佐藤春夫で、『秋刀魚の詩』を発表されて以降、一般的になったという。落語「目黒のさんま」では、お殿様にも食され、「美味じゃ」とお褒めをいただいた秋刀魚。関西では「さいら」とも呼ばれている。